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第1回:漁師たちと挑んだ「家づくりの夜明け」
特別企画:ハウスジャパン社長インタビュー
こんにちは、ハレとイエ編集部です。このWEBマガジンの開始に合わせて、片山社長にインタビューをしました。話を聞くと出てくる、当時の熱気を感じさせるエピソードの数々。今のハウスジャパンに至るまでの物語を皆さんに楽しんでもらえたらと思います。

会社の成り立ちを社長本人に、しっかり伺いました
第1回:漁師たちと挑んだ「家づくりの夜明け」
編集部(以下、編):ハウスジャパンが誕生して今年で34年。今日は改めて、その歴史を伺いたいと思います。そもそも、社長が「独立しよう」と思った一番のきっかけは何だったんですか?
片山社長(以下、社長):一言で言えば、「人に命令されるのが嫌だった」からですね(笑)。若い頃から、上司に使われるのがとにかく性に合わなくて。いつか自分が社長になるんだ、という夢だけは誰よりも強かった。
編:最初から住宅業界を目指していたわけではないんですよね。社長:ええ、最初はクレーンの運転手をしていました。それがたまたま、大手ハウスメーカーの現場に関わるようになったのが運命の分かれ道でしたね。当時はバブルに向かう時代で、あるメーカーさんでは毎月25〜30棟もの家を建てていた。毎日、どこかで家が建っているような凄まじい勢いでした。

編:毎月30棟!想像を絶する忙しさですね。
社長:ところが、当時は物流を担当していた会社が「雨が降ると大変だし、もうやめる」と撤退してしまった。そこで僕に「お前、やってみないか」とハウスメーカーから話が来たんです。
■玉野の漁師をスカウト?現場チームを結成
社長:でも、家づくりっていうのは雨が降ったからって休めない。納期があるからね。普通の感覚の人間じゃあ、あの過酷な現場は務まらないんです。そこで僕が何をしたかというと、玉野の養殖場の漁師たちを引っ張ってきたんですよ。
編:えっ、漁師さんですか!? 家づくりの現場に?
社長:そう(笑)。彼らは体力が桁違いなんですよ。朝の3時頃から、凍えるような雨の中で何百匹ものハマチを締めていましたから。泥だらけになって働くのも大丈夫、そんな荒っぽいけれど根性のある男たちを集めたんです。

編:でも、漁師さんたちは家を建てる知識はないですよね……?
社長:僕自身も、当時はほとんど知識なんてなかった。あの頃はビデオなんてないから、他所の現場に行って、1日中写真を撮らせてもらったんです。壁が一枚ずつクレーンで吊り上がって、家が出来上がっていく姿を全部写真に収めてね。夜、その写真を漁師たちに見せながら「明日はこう動くぞ」と説明したんです。
編:すごい光景ですよね。写真を見ながら漁師さんが家を建てるなんて(笑)。
社長:クレーンの操作は僕がやる。力仕事は彼らがやる。そうやって、知識ゼロから最強の上棟チームを作り上げていったんです。
■働いて、働いて掴んだ信頼と効率化
編:そこから、どうやって今の「ハウスジャパン」の形になっていったのでしょうか。
社長:とにかく地獄のように働きましたよ。1日に2〜3棟建てることもあった。常に大汗をかいてね。そうして現場を回しているうちに、ふと気づいたんです。メーカーの監督さんたちが、地鎮祭の準備なんかに追われてヘトヘトになっている姿を見て、「それ、うちが全部やりましょうか」と。
編:自分たちの仕事の範囲を、自分から広げていったんですね。
社長:地鎮祭の準備、上棟、足場……。工事ごとに業種を細かく分けて、効率よく回す仕組みを作りました。昔は大工さんが外回りの仕事もしていたけれど、それじゃあ手が足りない。だから「外部工事」という専門の部隊をうちで作って、大工さんが中(造作)の仕事に集中できるようにしたんです。
編:今の住宅業界では当たり前の「分業制」を、現場の苦労から独自に生み出されたんですね。
社長:トラックから荷物を運び入れる「荷受け作業」なんかも、腰を痛める重労働だから、若いうちの連中で引き受けようと。そうやって単価を決めて、一つひとつ項目を増やしていった。それが今のハウスジャパンの、「現場を大切にする」という姿勢の根っこにあるんです。
編:漁師さんたちと泥だらけになって働いた経験が、お客様に届ける「安心」の土台になっている……。お話を伺って、ハウスジャパンの家の強さが少し分かった気がします。
次回に続きます!